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浅田信一のプロフィール

「明日の行方」「ジグソーパズル」などのヒットで知られている5人組バンド「SMILE」のボーカリストとして脚光を浴びた。出身は静岡県浜松市1969年生まれ。デビュー当時はポストミスチル、ポストスピッツの最有力候補として注目される。しかし浅田信一はビジネス的に期待されていたアイドル路線ではなく純粋に自分のロック音楽を追求したい気持ちが強く、3rdアルバム「RUB OB THE GREEN」でそれまでの彼等のイメージを一新する大胆な方向転換を図った。芸術的にはすぐれたアルバムではあったが、結果的にはそれまでのたくさんのファンが離れていった。2004年のSMILE解散後はソロとして活動をつづけ、「GRAND CITY APARTMENT」「I'm Stupid」「Odyssey」「モアベター・スマイル」「悲しみのストレンジャー」などの作品を発表。同時にCHEMISTRYの「Motherland」「mirage in blue」やKinKi Kidsの「エンジェル」「月光」「テノヒラ」「永遠のBLOODS」などの楽曲の提供も行っている。また上戸彩の「MESSAGE」の中の「青空」もそう。

浅田信一のニューヨークでのレコーディング

浅田信一は不敵な一見生意気に見える顔つきからもうかがえるが、中学時代は相当のやんちゃで番長的存在であったらしい。2003年1月20日の望木綾子さんという方の記事によれば、SMILEのボーかリスととして名実ともにバンドのリーダーで、メンバーにとっては兄貴的存在であった浅田信一はバンドの活動休止に踏み切った理由として「バンドの方向性や自分自身にも精神的に行き詰まりを感じていたから」と述べているということである。バンドを休止した翌年からは他のアーティストへの楽曲の提供やそれらの楽曲のセルフカバーを中心にした構成のライブ活動を行っていたが、まだソロ活動に対しては前向きでなかった。そんな浅田信一を変えたのが尾崎豊や浜田正吾のプロデューサーとして知られる須藤晃氏との出会いであった。2002年の春から須藤氏と共に2週間の滞在でレコーディングを行った。この時期のニューヨークは2001年9月11日の同時多発テロの衝撃がまだ生々しい時期である。ゼロから生まれ変わろうとしているこの街のエネルギーを全身に受けながら独立後のファーストアルバム「GRAND CITY APARTMENT」を完成させた。

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浅田信一と浅森坂ツアー

浅森坂ツアーは2007年2月に仙台、東京、神戸、高松、長崎、福岡、大阪、名古屋、札幌の全国9ヶ所でのライブでした。三人のライブで浅森坂の「浅」は浜松出身の浅田信一の「浅」。「森」は大阪生まれのユニークなソングライター&ヴォーカリスト森山公一さん。大学時代に「オセロケット」を結成。97年メジャー・デビュー以来ユーモアにあふれた独特の歌詞とサウンドでポップスフリークの支持を獲得してきている。ツアーの演奏中もビールを飲んだり、物まねをまじえたりしながらステージを盛り上げていたそうです。客席を楽しませるパワーはものすごい。芸人でもあるんですね、森山公一さんは。「坂」は坂本サトル。坂本サトルといえば有名なのが、「天使達の歌」ですね。1999年2月に坂本サトル自身によるインディーズレーベルLAPLANDをたちあげ、北海道・東北限定でこの「天使達の歌」をリリースし、ギター一本で各地に出向き歌い続けて当時としてはけた破りの15000枚を売り上げたそうです。全国から問い合わせが殺到して「天使達の歌」をコロンビアレコードから全国発売。また東北楽天ゴールデンイーグルスの公認応援ソングも出している。

Copyright © 2008 浅田信一、浅森坂ツアーを終えて